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自己満足、自己顕示欲の文字化

マルジェラが殺された日

 

メゾンマルジェラ、享年32歳。あまりに惜しい別れだった。

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このスニーカーを見て皆さんどう思うだろうか。かっこいいと思う人もいると思うし、欲しいと思う人もいるかもしれない。誰がどう思うかというのは人それぞれであるし、自分もそれについてあれやこれやというつもりはない。

しかし、もしこの靴について自分の率直な意見で述べるとしたら、「醜悪」という一言に尽きる。

 

メゾンマルジェラは世界最高のブランドの一つであった。デザイン性やテーラリングの美しさはもちろんのことであるが、マルジェラはブランドの秘匿という形でブランディングを行った天才だ。現代と同じではあるが、ブランド至上主義の時代に彼だけがブランドの価値を壊そうとし、ブランドを秘匿し、服作りを行った。

マルジェラについては腐るほど解説があるので、そっちのほうを見てもらったほうが手っ取り早い。

matome.naver.jp

 

現在、マルタンマルジェラは服作りを行っていない。2015年からはDiorなどのデザイナーも務めたジョンガリアーノがCDをしている。勘違いされそうなので先にっておくが、自分は彼の服が大好きである。ミケーレが作る世界観と同じく、彼が作る艶美でアイコニックな服は、到底ほかのデザイナーに作れるものではない。

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往年のマルジェラファンは彼がマルジェラのCDに就任すると聞いた時には絶望したそうだが、自分にはいまいち理解できなかった。こんなに美しい服を作れる人間がデザインを手掛けるなんて喜ばしいことじゃないかとさえ思っていた。

 

しかし、実際に売られているプロダクトを見て愕然とした。

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ブランドの秘匿に用いられていたはずの四つタグがあろうことか前面に押し出されている。ガリアーノが作る服はメゾンマルジェラの持つ匿名性とは相容れない「可視化」された服だった。

 

ブランドの秘匿ってそんなに大切なんかよと思う人もいるかもしれないが、先に述べたように、マルジェラが評価され続けてきた理由は、既成の価値観を破壊する服作りの姿勢にある。時代の主流であった価値観を破壊したという点で、彼は哲学的なのではなく紛れもない哲学者だった。大昔、人々が哲学者のもとに弟子入りしたように、また、多くの人々がマルタンマルジェラの哲学に傾倒し、憧れた。だから、メゾンマルジェラの匿名性はブランドの根幹であり、同時にマルジェラの唯一性を確立させるものでもあった。

 

そんなマルタンが特に力を入れていたのが、我々一般人に売り出されるコレクションとは別の、アーティザナルコレクションというものだ。

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詳細は省くが、アーティザナルで発表される作品は、彼と彼のチームが一つ一つ考え、構築、再構築して作られるかなりアート性が高いものであり、また、彼らの服作りの根幹でもあった。

話は戻るが、マルジェラのデザイナーがジョンガリアーノに引き継がれた後も、このアーティザナルコレクションは続けられている。そして、自分がこの記事を書くきっかけとなったのが2020SSのガリアーノによるアーティザナルコレクションだ。

冒頭のリーボックとのコラボスニーカーはあろうことか、このアーティザナルで発表されたものだ。これはマルジェラの定番アイテムの一つである、タビブーツとリーボックのポンプフューリーを合体させたものだ。

 

アーティザナルは職人的な、という意味を持つが、一体、はたしてこのスニーカーのどこに職人的な要素があるのだろうか。このスニーカーに込められているものは、マルタンや彼のチームの服作りに対する姿勢へのリスペクトなどではなく、売れ筋のアイテム同士を合体させたら売れるだろうという考えに基づいた卑しい商業精神だけだ。

アーティザナルコレクションというブランドの根幹にもこのような寄生虫がとりつき始めた。止まらないインダストリー化の流れのなかでメゾンマルジェラは腐りきってしまった。

自分がこのスニーカーを「醜悪」といったのは見た目などの話ではなく、メゾンマルジェラの名を騙り、ブランドを可視化することで匿名性を取っ払い、目先の金を稼ごうとする商業乞食の精神に対してである。

 

メゾンマルジェラは殺された。死んだのではなく、殺された。私たちにできるのはその先にある、いつか訪れるであろう、かつてメゾンマルタンマルジェラであった何かの死を待つことだけだ。